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そう、竜王は安西先生だったのだ

戯言 面白科学

人類の歴史は病との戦いの歴史だ。医学の発展に伴って、かつては祈祷を捧げる他なかったさまざまな病気を人類は克服してきた。
だが、今日効果がある治療法がいつまでも有効であり続ける保証はない。鳥インフルエンザの脅威などは記憶に新しいところだろう。
そう。人類の敵は、今も進化し続けているのだ。
アストロノーカアストロノーカは今から10年以上も昔の1998年に発売されたプレイステーション用ゲームソフトで、プレイヤーは害獣パブーから畑を守りながら、宇宙野菜を育成・交配し、宇宙一の宇宙農家(アストロノーカ)を目指す宇宙農家シミュレーションゲームだ。
このゲームの特徴の一つに、パブーの進化に遺伝的アルゴリズムが用いられている点が挙げられる。プレイヤーは畑の前にトラップを仕掛けることでパブーを撃退することが可能だが、同じトラップばかり仕掛けていると、パブーはそのトラップに引っかかりにくいように進化するため、たちまちそのトラップでは撃退できなくなってしまう。しかも、強力なトラップを多用していると、それらに対する耐性が身につくため、パブーの能力は飛躍的に向上してしまうのである。
そのため、例えその時点でパブーを一蹴するようなトラップがあったとしても、それを使うのではなく、ぎりぎり倒せるくらいのトラップをしかけることになる。そうすることが、結果的に畑をより長く守るための秘訣なのだ。
人類対病原菌の戦いにこのような手抜きは存在しない。とはいえ、トラップに耐性を得て強くなるパブーと、薬に耐性を得て強くなる病原菌とどこか似ていると思われないだろうか。
ここで話はRPGに移る。最後にはちゃんと話はつながるので、我慢して読んでいただきたい。

追記
つながらなかった。

RPGの世界では、世界征服まであと一歩まで迫った大魔王が、主人公の手によって討たれる、という流れが多い。
ゲームボーイドラゴンクエストIIIそして伝説へ・・・すると、「最初の町の外にいるのがスライムなんて変だ」などと野暮ったいことを言いだす輩がいる。彼らに言わせれば「最初からゾーマ*1が出てくるべき」なのだ。
確かにそれは一理ある。かもしれないが、これは「ゲーム」である。ゲームにはバランスというものがある。アリアハンの外をゾーマがうろつくなら、王様は「勇者よこれを持っていけ」とメタルキング装備一式を手渡し、ルイーダの酒場には百戦錬磨の賢者が揃っていなければならなくなるのだ。それがゲームバランスというものだ。
とにかく、魔王は最後には主人公によって倒される運命にあり、主人公は最初は弱っちいというのなら

最初の町の周りに弱い敵がいて、そこから離れるにつれてだんだん敵が強くなる

という設定は致し方ないのである。むしろ僕は、魔王は意図的に段階的にモンスターを強くさせていったに違いないと踏んでいる。
既にお気づきかと思うが、これ、アストロノーカである。
少しずつ強いトラップを繰り出すがごとく、少しずつ強くなっていく魔王軍。そして、それらを倒してレベルアップしていくパブーもとい勇者ロト。魔王からすれば、抗生物質に対する免疫を次々に身につけていくスーパー病原菌の成長を見守るような想いで勇者の快進撃を見つめていたのではなかろうか。
そして、いつしか魔王軍の誰にも止められないほどに強くなった勇者は魔王の前に立つ。その時魔王の胸に去来する想いとは一体どのようなものであろう。
捻り潰そうと思えばいつでもできた。それをしなかったのは、ひとえにゲームバランスのためだ。徐々に徐々に強くなるように部隊を編成し勇者にぶつけ、勇者をここまで強くたくましく育てたのは、そう、魔王なのだ。

表面上は怒りや憎しみの言葉などを口にしつつも*2、いつまでも勇者の成長を見ていたい、という境地に魔王が達していたとしても不思議ではない。
ドラゴンクエストドラクエ1の竜王は「世界の半分をやろう」と言った。これは勇者とともに生きることを望んだ、彼の本心ではなかったか。勇者に倒される寸前、竜王はこう思ったに違いない。「どんどん強くなる君の姿をもっと見ていたかった。竜王失格です。」
そう、竜王は安西先生だったのだ。
つまり、何が言いたいのか。パブーは悪者である。かたや、勇者は正義である。これらの違いを決めるのは、我々の主観だ。物事を一つの側面からだけでなく、さまざまな角度から見ることが、大事なんだなぁ。

*1:ドラクエ3の大魔王

*2:これぞ役者魂