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自由の学風

戯言

僕が在籍する京都大学には「自由の学風」というものがあります。この、自由の学風には色々な解釈があるのですが、僕が大学の学部過程に進学した時に、学科のある先生がこのように言っていました。

大学は君たちにあれを学べ、これを学べとそれ程口うるさくは言わない。
だが、一度君たちが「これを勉強したい!」と思ったなら、その想いには全力で応えよう。
それが京都大学の言う「自由の学風」だ。

それもあってか、京都大学の授業は基本的に出席を取られません。期末試験さえクリアすれば、授業一回も出なくても、単位は出ます。ほとんどの授業で出席確認があるという噂の大阪大学とは対照的です。*1

僕は「自由の学風」が吹く京都大学に来て本当によかった

何を学ぶかの裁量を学生に持たせ、主体的な学生生活を送ることを期待し放置してくれる京都大学は、学びたいことを見つけられる人にとっては本当に最高の環境だと僕は思ってます。
逆に何も学びたいことを見つけられない人は、どこまでも堕落していく、というのも京都大学ではよくあることなのです。
それもあって、京都大学は昔から変人の巣窟なんて言われて、京大生だというだけで僕なんかも変な目で他大生から見られたこともありました。

大学院に来てからの息苦しさは何だろう

問題は大学院に進学してからです。
大学院に進学して2ヶ月ちょっとが経ちましたが、何なのこの課題の雨あられは。
授業はほとんど出席確認があるし、勉強する内容まで強制されて。

それが普通の大学院の姿だ。

そういう意見があるのは分かります。確かにその通りだと思います。学生は学ばなければなりません。
けど、僕は、自由の学風を捨てて欲しくない。
これではまるで、学生の主体性を信じていないようなものだ、と思う。
言われなきゃ勉強できないような人は東大にでも阪大にでも行けばよろしい。
というのではダメなのかなぁ。

*1:実際のところは知りません