WELQ問題で医療情報の価値が高騰しているらしい

僕の妻は看護師の資格を持っているが、病院ではなく企業の委託で健康保険室を運営する会社に所属しながら企業保健師をしている。

その会社では以前からWeb媒体向けの医療情報の執筆やその監修を業務の中で細々と行っていて、妻も定期的に記事を書いていたようだ。

詳細を聞いてみると、さすがに1文字1円なんてことはないが、仮にも国家資格を持った人によくこんな低単価で記事を発注できるもんだと驚いた記憶がある。 明らかに割りに合わないビジネスだと思うのだが、社長さんの人がよくて請け負ってしまったのだという。

ところが最近事態が好転しつつあるようだ。 その引き金を引いたのはもちろんタイトルにもあるWELQの件だ。

ここのところ会社に記事の監修をしてほしいという引き合いが相次いでいて、しかも記事あたりの単価もこれまでの数倍なのだという。 これまで看護師や栄養士の資格を持った社員が正しい医療情報を発信してきたわけだが、ようやく正直者が真っ当に評価されるようになったようで、僕はこのことをとても好意的に受け止めている。

しかし、同時にこれが一時的な特需で終わってしまうのではないかとも危惧している。 今回のWELQは後ろにいたのがDeNAという上場企業だったからこういう形での決着を見ることになったが、もっとアウトローな存在がやっていたらどうだっただろう。 いや、すでにそういうのはたくさん存在しているし、一連の報道の中でDeNAのやり口は広く知られることになってしまった。

今回の一件で高騰した単価が、そうしたルールを守らないやつらのせいで割に合わなくなって、結局元の状態に戻ってしまうのではないか。 そう考えるとGoogleの責任ってすごく大きいし、頑張って欲しい。

案外世界の警察はアメリカじゃなくてマウンテンビューの天才たちなのかもしれないね。

人のタブーを笑うな

学部時代に「文化人類学入門」的な一般教養科目を履修したことがある。

当時その授業は「空から単位が降ってくる」と形容されるほどの楽勝科目で毎年多くの履修生で賑わっていた。

僕も全く単位を気にしていなかったかといえば嘘になるが、実際に受けてみると案外興味深い点も多く、学びの多い授業の一つだったと記憶している。

その授業の中で「タブー」についての小話があった。

タブーはもともと文化人類学で生まれた言葉で、Wikipediaによればポリネシア語で「強く徴づけられたもの」を意味する

文化には必ず何かしらのタブーがあって、そのタブーが生まれた背景を探ることはその文化を知るために必要なものであり立派な研究対象だ...みたい話だった気がする。

一般的にタブーというと「よくわからないが触れてはいけないもの」みたいな意味で使われる。その発展として「打破すべきもの」というニュアンスを帯びることもある。僕もそれまでそういう認識をしていたので、印象に残ったのだと思う。

この話を踏まえれば、その強く徴づけられたものが生まれた背景には何かしらの文化があるということだ。

自分には理解できないことを他人が盲信していると感じられる時、その対象にタブーの烙印を押し、大したことがないものと切り捨ててしまうことがある。

しかし、その烙印の下には言葉では説明できない、その人、その集団の文化が眠っていて、実はそれがとても大切なものだったりするのではないか。

レッテルを貼り付ける前に、どうしてそういうことになっているのだろうと考える余裕を持ちたい。

その「エンジニア採用」が不幸を生む

本書は巻頭で企業経営者や採用人事、転職を考えているエンジニアなどが想定読者として掲げられている。

第3章「不幸になる要因はエンジニアサイドにもある」という章題からもわかるように、実際に転職に臨む当事者としてエンジニアが知っておくべきことも多く、エンジニアのキャリアを考えるという観点でとても有意義な内容だと感じたので、転職活動をする前に一度目を通してみるといいのではないかと思う。僕は人材紹介会社とやりとりしたことがないが、彼らのやり口に注意が必要、みたいな話もあって面白い。採用面接で聞かれる質問とその対策を論じた書籍がいくつかあるが、転職するのであれば間違いなくそれらの前に本書を手に取るべきだろう。

と、(このブログを読んでいる人はエンジニアが多いと思うので)エンジニアが読むことを想定した感想をまず書いたが、僕はスタートアップでCTOをやっているので、掲げられた想定読者の中で企業経営者や採用人事に近い立場にもいる。その立場からの感想を述べると、本書は「CTOのエンジニア採用・評価という側面からの役割を指摘しているとても貴重な書籍」だった。

CTOというととかく最高技術責任者という字面から技術的な側面が取り上げられがちだが、技術だけ見てればOKなんて事はない。最近でこそVP of Engineeringを別にたてるみたいな話も出て来ているが、そういうポジションを置いたとしてもCTOというポジションに求められる役割の輪郭がはっきりしないのは、エンジニア採用に果たすことが期待される部分の存在によるところが実は大きいのではないだろうか。

その重要性を考えればCTOがエンジニア採用に深く関わるべきである事は自明だと思う(少なくとも弊社ではそうだ)。しかし、いざその立場になってみると、自分が何を期待されているのか、何をすればいいのかはその必要性ほどは自明ではない事が肌身に沁みる。僕の場合、前任者がいないからなおさらそう感じるのかもしれない。

本書を読んでいるといたるところで「CTO」という単語が出てくる。それぞれの文脈で想定されている企業規模や文化、社長の考え方は違うが、読み進める中で「CTO」にぶつかるたびに、僕の中で曖昧だった境界線が少しだけはっきり見えるようになったような気がする。もちろんそこには取捨選択があるが、スタートアップのCTOで本書を読んで自らを省みることが一切ないとしたら、その人はスーパーマンかエンジニア採用の重要性に未自覚かのどちらかではないか。

というわけで、僕は今までになくエンジニア採用においてCTOが果たすべき役割に自覚的になれたという点でもって、本書にとても感謝したいと思っている。